一人で踊りまくるのは イスラエル ガルバン。
フラメンコ を変えたダンサー。歌もギターも聞こえません。が、その靴音が、身体を叩く音が、いや彼の動きそのものが音楽をつくっていくのです。 フラメンコ を変えた踊り手の代表作「黄金時代」。2007年バルセロナでの フラメンコ フェスティバル での公演の一部分。
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「黄金時代」は2005年、世界で唯一の フラメンコ とスペイン舞踊に特化したフェスティバル、ヘレスのフェスティバルで初演されました。当時すでに、1998年以降、セビージャのビエナルという、世界最大のフラメンコ祭で毎回新作を発表するなど、注目されたダンサーだったにも関わらず、フェスティバルが提示したのはメイン会場の大劇場ではなく小劇場。理由は彼がモダンな作品を演じるアーティストだから。
じゃ、伝統的なクラシックな フラメンコ をやってやろうじゃないか、とヘレスの歌い手とギタリストで純粋な フラメンコ を、ということでできたのがこの作品。ソレア、ソレア ポル ブレリア、ロンデーニャ、マラゲーニャ、シギリージャ、ティエント、タンゴ、アレグリア…様々なフラメンコ曲が現れては消えていきます。カンテソロ、ギターソロ、そして踊りのソロ。三人がさまざまにくみあわさって描くフラメンコは伝統的でありながら、このビデオにみられるように、イスラエルならではの独特の動きがあちこちに。
1973年セビージャ生まれ。ベレン マジャ同様両親とも踊り手である。父ホセは母エウヘニア デ ロス レジェスとデュオで活躍し、その後フラメンコ教室を開き多くのアーティストを輩出しました。彼も5歳から踊り始め、タブラオやお祭り等多くの舞台に立ってきました。一時はフラメンコをやめようとも思ったようですが、 フラメンコ を人生と定め、マリオ マジャ舞踊団に入ったのは92年だったでしょうか。
後、マリオの監督就任でアンダルシア舞踊団へ。96年にはマノロ ソレールやマヌエラ カラスコと共演し、98年にはソロで「ミラ」を発表。移行、2000年「メタモルフォシス」2002年「ガルバニカス」2004年「アレーナス」2006年「タブラ ラサ」2007年「ソロ」「エル フィナル デ エステ エスタドス デ コサス」2009年「クルバ」2012年「ロ レアル」2013年「フラコ メン」…
これまでに発表した作品はどれも私たちを驚かせてきました。それまでの フラメンコ にはなかった動きを取り入れた、コンセプトのしっかりした作品。フラメンコを熟知しているイスラエルがフラメンコのいろいろな約束事から放たれてみせる自由な表現。極限まで鍛え抜かれた肉体と精神。新しいフラメンコは彼によって誕生したのです。
形の美しさもさることながら、その間の良さは超一流。音楽がなくともきこえてくる音楽。動かなくとも多くを語る舞踊。この人に一度はまったらもう逃げられません。
志風恭子
『flamenco festival in Tokyo 公式ブログ』より